油田新聞_2016.06.02
先々週、埼玉県の「高麗(こま)」というところに行ってきました。
一風変わった地名ですが、歴史を絡んだ理由があるのです。
たまに登山で秩父に行っていますが、その時、必ず高麗駅を通るため、自然に地名を覚えました。
また、韓国の歴史に登場する「高麗(コリョ)」と漢字が 同じなので親近感があり、覚えやすかった
かもしれません。
通る度に「もしかしてここは、韓国と関係性があるのでは?」と自分の中で推測をしていましたが、
案の定深く関わっていました。
大昔になりますが、約1300年前に朝鮮半島には三国時代がありました。
朝鮮半島の南西には「百済(クダラ)」、南東には 「新羅(シンラ)」、北には「高句麗(コウクリ)」と
いう国々が存在しましたが、中国の「唐」と「新羅」の連合軍が「高句麗」に攻めていき、高句麗が
敗れてしまいました。
その後、高句麗の領土や人は連合国に吸収されましたが、一部の貴族は日本に亡命してきたそうす。
(今で言うとボートピープルですかね。。。)
そこで、その貴族らが建てた町が埼玉県の高麗だそうです。
面白いことに丁度、私が高麗へ行った時が、建郡記念日でした。しかも1300年という節目で韓国と交流会がある日でした。
実際、高麗には高麗神社がありますが、韓国のイベント関係者が大勢いました。また、高麗駅には
韓国の「ジャンスン」が祀られていました。
一部の日本人は頑固として否定しますが、昔、縄文時代では朝鮮半島から渡って来た弥生人
(渡来人)が稲作技術を広げました。また、古墳時代には朝鮮半島の百済の僧侶が日本列島に仏教を
伝え、さらに朝鮮半島の瓦博士(かわらはかせ)らが日本に瓦技術を伝授し、飛鳥時代を迎えました。
実際、日本の初の寺である飛鳥寺には、朝鮮半島から来た仏像があるそうです。
また、日本の国宝1号は韓国の国宝83号とそっくりですね。
昔から日本と韓国は交流が深く、日本人のDNAには縄文人DNA+朝鮮半島からの渡来人DNAで
構成されているそうですね。もしかして、日本と韓国は兄弟かもしれません。
( A. F. )