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油田新聞_2016.03.01

時間

会社の低炭素杯プレゼンを観覧した後、飲み会に参加した日のことだ。

その日、偶然自分の隣には村田さん(たまプラ油田の代表)がいらっしゃって、いろいろ

楽しいお話をきかせてもらった。

村田さんは留学や外国での滞在経験が豊富で、うちの社長のように外国人への理解度や

リスペクト感が高かった印象が大きい。

村田さんのお話の中に一番印象が強かった話題がある。

“今の中国は、昔の日本の姿だね”という話題だ。

中国人は、ルールを守らない、時間にルーズといったことで有名だが、日本も昔は、

同じだったという内容だ。

もちろん、この話の一部は知っていたし、日本のモノづくりも今のような高品質では

なかったことは知っている。

今回、ルールと時間の概念は、いつから、また、誰が作ったのかを少し掘り下げてみたい。

今の日本は、先進国であり、情報化社会だ。当然のことながらインフラは全国津々浦々まで

整って不自由なことはないだろうし、社会の成熟度も高い。

では日本のような先進国は、どのような経過を辿って今の形になったのだろうか。

まず、最初の社会である農耕社会に遡りたい。

農耕社会では、今のような時間の概念がなかった。

強いて言えば、日が昇れば田畑の仕事に出て、日が沈むと帰宅するといった自然を相手にした

時間だった。

当然、仕事のスピードを上げても、いくら頑張っても仕事の結果である収穫を早めることは

できない。さらに、収穫が終わると一時的な暇が訪れた。

それにより時間は相対的ゆっくり流れていたはずだ。

今の時間の概念の殆どは、次の段階である産業社会で生まれた。もちろん、多くのルールが

生まれたのもこの時期だ。

農耕社会の相手は自然だったのが、産業社会の相手は機械(車、電車、産業用マシン、パソコンと

いった作業に用いられるもの)だ。

機械を止めず、生産性を保つためには、人が機械の時間に合わせる必要があった。

しかし農耕社会の時間は、自然が時間そのものだったため、機械の規則的な時間に合わせる事が

難しかったらしい。

最初は、決まった出勤時間さえ守れない人が多かったらしい。生産性の維持のためには、必ず

人々を機械の時間に合わせる必要ある。そこで、ルールが生まれた。ルールを守らない人には

罰則も行った。例えば、出勤時間に遅れた人には、日当の半分を減らすという罰則だ。

今の日本人が途上国の人々を見ると、ルールや時間の感覚が緩いという話をよく口にする。

おそらく、日本と途上国との間に時間の差があるのではないかと考えられる。

また、社会の形で人々が無意識で持っている知覚、思考、行為が異なるというハビトゥス論で

考えた場合、日本が蓄積した経験と、途上国のが蓄積した経験には量的質的に差が大きい。

当然日本の方が経験に豊かであり、人々が持っている無意識的な知覚、思考、行為が違う。

ところが悲しいことに「野蛮には教育が必要だ」という極端な発言をする人もいる。同じ論理で

言い返すとかつて日本も野蛮だったことだ。

そういった発言は、自ら日本のイメージを失墜させることであり、成熟から逆戻りをする行為だ。

経験が豊かである先輩と思うなら、

先輩は、それなりのふさわしい行動や発言が求められるのを忘れてはいけない。

( A. F. )

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